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今後の展覧会
2017.7.22 - 7.31
石川 浩美
過去の展覧会
2017.5.1 - 5.31
金 漢國
弘益大学校で絵画を専攻した後、TBC放送局のデザイナーとして、ドラマやショーステージ等のデザインを手がけました。『歌謡TOP 10』の舞台美術も彼の作品です。ステージデザインの仕事もやりがいのあるものでしたが、画家として絵を描く事が自分の天職ではないかという気がして、3〜4年後、本格的に作品制作に入りました。大学時代の担当教授が彼に声を掛け、大学の助手、講師として生活をしながら作家活動をすることになりました。以後33歳という若さで江陵大学(現・江陵原州大学)の教授になりました。
教育に多くの時間を費やすため、自分の創作活動を行うのは大変したが、金漢國は絶えず奮闘して、ユンギャラリー、ス画廊、ハァサラン、ドンスンアートセンターギャラリー2000などで個展を開いて活発な活動を続けてきました。

IMFで韓国経済が悪くなった時期の1997〜1998年には、家族と一緒にパリに交換教授として行くことになりました。パリでの生活は彼にとって、新しい視点を獲得する機会になりました。特に写真とコンピュータ、プリンティングを融合させて、抽象表現と写真表現の境界を行き来し、自身の表現の壁を破ることができたことは、最も大きな変化でした。当時彼は、ヨーロッパや東南アジアなど多くの国を訪れて、自然と人々の様子を写真で記録して 脳裏に刻み付けていきました。そのような旅を通じて、画家として巨視的、黙示的な視点を持つようになりました。それで誕生した作品が「PROJECTION - TRACE」「流動形成FLUID」シリーズなどです。また、これらのインスピレーションは、その後2008年から、香港、シカゴ、ニューヨーク、ジュネーブなど海外のアートフェアで活発な活動をさせる原動力にもなりました。特にスイスのスコープ・バーゼル(Scope Basel)展示は、イギリスの雑誌「Identity」に世界中の有名作家と一緒にアンシド(仰視図)シリーズが紹介されました。

運命は非常に小さな偶然で始まる。
金漢國が交換教授生活を終えて、韓国に帰国した後、しばらくして、世界的はサーズが大流行しました。ほとんどの公共機関で、熱感知カメラが休む事なく動いていて、空港も例外ではありませんでした。
金漢國は、モニターにより示された赤い形をした人々の姿から目を離すことができなかったと言います。レンズを通して映し出された赤い人間の姿が新鮮な形で近づいてきたのでした。この時から、彼は自分の独自の視点を持つようになりました。第三の目を通して、繊細な人間の世界、現状の本質の探求が始まったのでした。

絵画的覚醒の媒体として熱画像を利用してから、再び運命的偶然と向き合うことになりました。新聞の小さなコラムから新たなインスピレーションを得たもので、内容は、すなわち“人間の文明は古代から鳥瞰図(鳥が世界を見下ろす目)を基に発達して、遠くから見る森と、森の中でみる森が違うように、精密な所までは逃している。しかし、現代では、より精細な仰視的(虫が世界を眺める目)な思考が必要である”ということだったのです。
“仰視的な視線で世界を眺める...”これが金漢國がずっと考えてきた新しい視線と言う事に気づきました。この時から熱画像と昆虫の目をモチーフにした仰視図シリーズが発表されるようになりました。数え切れないほど多くの目を持っている昆虫の目を通って、作家として世界の多様性と深みのある実体を、本質的で、客観的ではなく、主観を一つ一つ表わしたもので、多分それは世界を浄化しようとする彼だけの言葉であります。

金漢國は自分自身だけの第三の目を持つようになると考えています。
彼の作品は常識から外れ、現代文明が逃した、違う事実を絵画の可能性を通して具現化していると言えます。
2016.12.16 - 12.27
中村 陽子
2016.8.1 - 9.3
高濱 英俊
2015.5.30 - 6.13
高濱 英俊
彫刻といえば、今でも多くの人々は、反射的に人体像を思い浮かべる事でしょう。 古代から眼には見えない神々の姿は人間の形態を借りて表現されてきましたし、「神は死んだ」とニーチェに言わしめた近代以降は、神話や宗教の世界に代わってまさしく人間が彫刻家の関心の対象となったからです。以来、おびただしい人体像つくられましたが、しかし20世紀も後半になると、一部の例外を除いて、人体像は彫刻の主役の座を次第に明け渡さざるを得なくなりました。神や神の代理人を追い払って人間がつくり上げた近代の文明社会も、人間にとって矛盾や不条理に満ち満ちていて、決して理想郷とはなり得なかったからに他なりません。
その意味でも自然現象や目には見えない気配の造形化に腐心する石彫家濱英俊氏は、人体像に代わる彫刻という現在的課題と真摯な格闘を続けてきた代表的な一人といえるでしょう。彫りや削り、研磨などの入念極まる作業を経て、堅固な石塊に息を吹き込み、有機的な自然へと転生させていく氏に非凡な造形力は、展覧会のたびに高く評価されてきました。
今回の展覧会を機に氏の力作の数々を是非とも味わって頂きたいと願っております。
2014.11.07 - 11.15
有坂 ゆかり
孤高の唯美主義者である有坂ゆかりは、メルロ=ポンティが「存在の組成」と呼んだ、画家によって絵画に変えられる“世界”を描いている。

物静かな有坂の心の中には、絵画制作への強い信念を宿しているのではないかといつも思う。有坂は、多摩美術大学大学院に提出した博士論文で、「意識外で感知し意識される前に捨て去られる情報の中に存在する無限の形象」を捉えることが、「抽象化による絵画なればこそ果たしうる使命」であると述べている。

シュルレアリスムが捉えたのは意識下(sub-conscious)のイメージであり、無意識(un-conscious )界のほんの一部でしかない。一方、不確定かつ無尽蔵に拡がる現象界の中で、意識外のイメージを認識し、不定形の線や点、色彩の集積などによって絵画化することが、有坂の目指す所であろう。

2000年代の有坂の作品は、色彩がもたらす心理的影響を排除するために画面をモノクローム化し、形象やマチエールを抑制していた。鑑賞者はそれらの作品を見つめると同時に、鑑賞者個人の内面世界へと繋げて、記憶や感覚を重ねて意味を見出すことを試みた。

2010年以降になると、有坂は赤、橙、緑、紫などの色彩を使用し、豊饒で崇高なイメージを彷彿とさせる、感覚的で色彩豊かな画面を展開しているように見える。有坂が意図しているのは、抽象化による「意識外のイメージ」であるが、その中には鳩や兎などの小動物の姿が見え隠れしているようにも見える。私は、ギリシャ神話でカオス(混沌)からガイア、タルタロス、エロスが誕生する場面や、旧約聖書『創世記』で暗闇の中、神が光を作り、大地と海、そして植物、魚、鳥を作っていく場面など原初的形体を連想する。

今回出品される新作の《石化》《霞の花》などには、白鳥、人物、花など具象性を帯びたモティーフが登場する。具象性を孕むと観者との交感は進むが、意味が限定されるきらいの中での新たな展開である。これらのイメージは、有坂の脳裏に浮かぶ形象や心象を描いたものであるとしても、有坂の気宇壮大な世界の構築を感じさせるものであり、有坂の秘めた可能性を確実に示しているものである。
2013.11.08 - 11.16
中村 陽子
画面を覗き込めば、疾駆する速度感をみなぎらせてひしめく痕跡群に圧倒されてやまないのに、身を退いて見渡した形象の総体は、一切のダイナミズムをのみ込んで密やかに見る者を包み込む。中村陽子を世に知らしめたのは、そのように万象の一瞬々々のめくるめく変化と、それらを永遠に凍結させたかのごとき静寂とが、いわば二重化されたような絵画群である。唐突だがこの印象は、転変する音の流れをすべて切断し、訪れた沈黙をも楽曲の血肉としたロマン派交響楽の「全休止」を連想させる。なるほどすべての音を生成の糧とした交響楽の「全休止」と、積み重ねた表現の終着点である絵画の静寂とは、本質的には同一視され得ないものかもしれない。しかし、各部の生き生きとした動きや速度感を、有機的な連関のうちに昇華させた中村の画面は、筆者には次なる生成の気配を充溢させた豪奢な静寂としての「全休止」とだぶってみえるのだ。

ところで、中村絵画の符牒ともいえるダイナミックな動きと速度感は、絵筆によらず手指や掌によって描いた行為の所産である。フィンガー・ペインティングとも呼ばれるそれは、絵筆の制約を解き放ち、身振りや行為と結びついた直接的表現を旨とする現代の絵画動向からもたらされたと言ってよい。と同時に、太古の人類が同じ画法で洞窟壁画を遺していた事実を思い返せば、フィンガー・ペインティングと起源回帰願望のかかわりも無視できないだろう。不覚にも中村がなぜ手指や掌を筆代わりに用いたのかは聞き漏らしたが、絵筆では満たされない何かを自覚した上での選択だったのは間違いあるまい。にもかかわらず、そのような身振りや行為と直結した始原のダイナミズムだけが、画家の至ろうとした終着点でなかったのは、今回の個展出品作をみても歴然としている。 というのも、見る者は手指や掌を使って直描きした作品群にとどまらず、そこから派生し展開された二系列の作品群も目にすることになるからだ。その一つは、直描きの画面にかぶせた紙をバレンでこすり延ばして、直描き面の画像をそっくり転写した作品群。他の一つは、直描き面を石膏で分厚く被覆し、それを部分的に掘り返して埋もれた下層画面を断片状に浮かび上がらせた作品群である。このうち前者では消去された物質感に代わって前面化した形態に、対する後者では断片図像状に白い石膏地の下層から露呈した色彩に、それぞれの照準が合わされているのがわかる。手指や掌による表現から出発した中村の絵画は、いまやこのように、形態と色彩という絵画を成立させる基本的なエレメントの探究へと歩を突き進めているのである。画面という画面にスリリングな表現の息吹を注ぎ込んでは、望むべき像がそこに定着されるのを辛抱強く待ちながら。
2013.10.17 - 10.26
柴田 まどか
 ここ6、7年の発表作を遡ってみても、柴田まどかの油彩画において、花というモティーフがいかに重要な位置を占めてきたかがわかる。しかし、花にこだわってきたとはいえ、彼女が対象とするのは身近の自然のうちに生きてある花々であって、切り花に象徴されるナチュール・モルト(死せる自然)としての静物画ではない。また、植物学的な視線で観察され、微に入り細をうがって再現された花譜、たとえばフランスのルドゥーテや日本の杉浦非水らの作品とも隔たっている。他にボッティチェリの神話的寓意やルソーの楽園幻想などを彩る花々もあるが、いずれも抽象度の高い柴田のそれとは別物だろう。むしろ彼女の画面にしばしば登場する鳥に鑑みて、現代の花鳥画と呼ぶとしようか。
 ところで柴田絵画の抽象性は、緻密な形態描写を切り詰める造形上の動機よりも、彼女がいうところの「視界」全域を、光あふれる色彩で埋め尽くしたいという意識から促されているようにも思われる。それはたとえば、2006年の《ピンクである花のパターン》あたりから始まって、《遠くまで黄色い》(2009年)や《花が並ぶ》(2010年)、《咲いた、さいた》(2012年)などまで、揺るぎなく一貫されているといえるだろう。とりわけ後の三点に顕著なように、近年の花々は個別の形態がほとんど色彩のマッスと化し、隣り合うそれらが連結しながら領域を拡張して、白昼夢さながらの色彩劇を繰り広げてやむことがない。実際これらの画面における花のフォルムは、それ自体の優美な姿を表すより前に、光り輝く色彩を引き寄せる磁場と化しているかにみえる。
 他方で、仰角的構図で無限の奥行き感を呼び覚ます《花の視界》(2009年)や《花のあいだ柄》(2012年)、《上へ向かうように見える》(2013年)、大胆なクローズアップを際立たせた《庭を覗く》(2012年)や《中心にいる》(2012年)、花が木漏れ日に変容した《遠くまで光がいる》(2012年)などのように、従来の殻を破ろうとする注目すべき新機軸のチャレンジも楽しめよう。ただし、これらの試みには、上から順にたとえば日高理恵子、オキーフ、丸山直文による先行的な類例が見受けられなくもない。だからこそ柴田には、現在地点に踏みとどめることなく独自の新境地に向けて、さらなる探求と実践を期待しないではいられないのである。
2013.04.01 - 04.10
内山 士郎
2013.03.01 - 03.09
藤山 さつき・関 孝行
2013.01.18 - 01.26
原 玲子
 あ、ここには風が流れている。遠くから光が射し、音が聞こえる。
原玲子の作品には、そう思わせる自然の息吹が感じられる。
原は、テキスタイルという素材からインスパイアされて作品が生まれると言う。そこには、「もうひとつの自然」をイメージさせるものがある。それは抽象であっても、具象から派生した、あるいは見えない想いからインスピレーションを得て立ち現れる、気韻とも言えるイメージである。
 繊維という素材を選んではいるが、原の作品はある時は絵画のように、ある時は柔らかい彫刻のように、ひとつの表現方法にとどまらない。その作品は、原の創作フィルターを通すことにより現れる「かたち」に他ならないのである。自由無碍な彼女の作品は、「もうひとつの自然」の静かで豊穣な余韻を感じさせる。
 自然の中に見る人生、……春―若い初々しさ、夏―行動的な青年、秋―実りの壮年、冬―枯淡とした老年。原はそれぞれの季節の中にある美を表現したいという。自然に寄り添い、自然を慈しみ、自然から形を捨象する。
 花を嗜む原の作品は、一貫して自然との対話から生まれている。
 その作品により、私たち自身も自然の一部であることに気付かされるだろう。
2012.11.24 - 12.01
野嶋 奈央子
 野嶋奈央子の個展会場で作品を見て、その鮮やかな色彩と形容し難いイメージの虜となったのは数年前のこと。そのイメージの魔術を解明すべきDOKAでの企画展開催を誘ってみた。野嶋の作品は赤やピンクなどの派手に見えるが品位を保つ色彩が画面に流れ出し、曖昧模糊とした形状は解読を拒むようにも見えるからだ。
 野嶋のブログには「私の作品は私小説ならぬ私絵画で心象風景みたいなもの。自分でも手に負えない無意識≠制作しながら拾い集めて曖昧なまま形に残している作業」「作品に落とし込まないと消化できないものが自分の中に確実にある」と綴られている。
 野嶋の作品タイトルがこれまた軽妙洒脱で謎を孕んだ詩のようである。見る(読む)ものに「わかるかな私の気持ち」と問いかけながらも、「わかって堪るか私の気持ち」と諦めているようにも見える(読める)。野嶋の作品は、私小説ではあるとしても、同世代にとっては理解し合える時代の空気感や虚無感を代弁しているのではないだろうか。
 3.11以降、野嶋の作品にも影響が現れた。今回出品されている「その箱の外側の外側は内側」4点組も、その形状と作品数である解釈をされる方もいるであろう。しかし野嶋にとっては建造物や植物など日常生活で引っ掛かった拘りを作品に形象化しているに過ぎない。その自然な営為の清歌は、過ぎゆく日常生活を真摯に生きていく証として、見るものの魂を震わせるに違いない。
2012.11.03 - 10
小山 佐敏
 2011年3月11日、DOKA Contemporary Artsでの「小山佐敏−都市の叫び」展初日、東日本大震災が発生した。会場に居合わせた外国人が「今、街はまさにこの状態。小山の作品が時代を先取りしている」と呟いたという。
 小山のライフワークでもある『生命都市』シリーズは、1970年代後半に偶然の閃きから生まれた。東京の空撮写真と霞が関ビルからの眺望が原点だという。その後、村上龍の目にとまり、1980年に出版された『コインロッカー・ベイビーズ』の表紙画に抜擢されたことで、小山の名と作品は世に知れ渡ることになった。1978年「安田火災美術財団奨励賞」、1979年に「神奈川県美術展美術奨学会賞」、「シェル美術賞展3等賞」、そして2000年に「小磯良平大賞展大賞」を受賞し、その名は確固たるものとなった。
 大自然に恵まれた熊本県天草市に生まれた小山は、20歳代前半に東京に出て、「生まれて初めて見た大都市の印象は忘れがたい」と語るほど強烈な衝撃を受けた。垂直水平に増殖し続ける都市は生命を伴うがごとく成長し、隙間空間を埋め尽くし続けている。小山が『生命都市』と命名した作品群には、小山なりの真摯な叫び声が隠されている。画面は建物で覆われているにも関わらず、人間の生活の様相が感じられないのだ。
 「小磯良平大賞展大賞」を受賞した折に、小山は「目の前の餌に皆で寄って集って食べ尽くそうとする。政治も経済も教育も、このままで良いのだろうか」と述べた。小山の増殖するビル群のイメージは、人間の我や欲望の形相でもある。その勢いは留まるところを知らず、山の頂きまで到達し、木や島の全体までをも網羅している。
 尖閣諸島、竹島、北方領土問題、日中韓露の「欲望の戦い」の渦中に開催される小山の展覧会は、見るものを、深く沈む思想のラビリンスに陥れる。作品を見つめ、意味を求めてもがくことで、現世界の大局的な視野を手に入れることができるのではないか。そんな小山の「時代を先取りする」狙いに照準を合わせ、小山ワールドに浸るべきであろう。
2012.10.20 - 27
湯村 光
 1986年に『安田火災(損保ジャパン)美術財団奨励賞展』の彫刻部門トップ賞「優秀賞」を受賞した湯村光の彫刻作品は、いくつかの美術館コレクションとして展示され、また全国各所のパブリック・アートとして設置されているので、比較的目にする機会は多い。華美な色彩や装飾を避けた、そのストイックで物静かな形状は、取り巻く環境の自然と調和をなし、見るものの心に響く安らぎを提供している。
 湯村の作品は黒御影石を中心に(時には白・赤御影石も使用)、研磨面と被断面が巧みに組み合わされ、その対比が知と情、陽と陰などの拮抗をも連想させる。また割れ肌のデコボコには手業感があり、巨大な石彫でも威圧感を緩和させ、ユーモアをも感じさせる。
 「自然石と対峙、対話をし、凛とした空間を表現したい」と語る湯村の作品群には一貫性があり、決してぶれない基軸を感じさせる。作品タイトルを読み、再度作品を見つめてみると、コンセプトを練りに練って生まれてくる研ぎ澄まされた形状であることに納得させられる。
 今回、湯村は初めてコラージュ作品展を開催する。石彫では見られない湯村の絶妙な色彩感覚で、色紙を重ね合わせ、その上に手で千切った形状が載せられている。湯村が「石を割るのと紙を破るのは同質のコンセプトによるもの」と述べているが、石の割れ肌と紙の破れは同様であり、湯村のこれまでの彫刻作品を知るものには、コラージュ作品にも自然と共感させられる。マチスの晩年の切り絵はハサミしか使用しなかったが、湯村は研磨面をカッターナイフで、被断面を千切りで表現することで、これまでの長い彫刻制作で培ったエッセンスを身近に楽しめる作品として昇華させることに成功したと言えるだろう。
 室内の壁に掛けてみると良い。作品を見つめていると、心地よい微風が吹き、その風は青空へと広がっていき、大自然へと繋がる自分を感じられるであろう。
2012.9.14 - 22
古川 あいか
 古川あいかの作品は、見るものを惹きつけ、永続する余韻を残す。 衣類や布などの日常のモチーフを捉えながらも、そのモチーフが大量に天空に吸い込まれるような作品、また同心円状に描かれたイメージ。 人々が毎日飽くことなく着替えることで入替る衣類、それらは古川の組み換え作業で、非日常の世界となり、さわやかな刺激を創出する。
 古川は「ふと日常の中から訴えてくるような何かの感覚」「無意識的な習性」を意識化することで、日常のものが日常のもので無くなり、その一瞬に興味を注がれるという。 また、人々の生活は、「繰り返されているのに重ならない」行為であり、それを渦巻きに例えて表現している古川の手法にも、他に類がなく、輝く個性を感じさせる。
 アーティスト・イン・レジデンスを経験したライプツィヒに再び文化庁派遣される古川の新作群は、古川の決意宣言であり、今後の飛躍を保証するに足る力作揃いである。
絵画「小山佐敏」と彫刻「高濱英俊」のコラボ展
生命と水のかたち

於・浜屋・長崎
2012.5.30 - 6.4
小山佐敏・高濱英俊
彫刻「高濱英俊」と絵画「小山佐敏」のコラボ展
水と生命のかたち

於・県民百貨店・熊本
2012.5.15 - 21
高濱英俊・小山佐敏
2011.11.18 - 26
浜田 澄子
 東アジア温帯モンスーン地域にあって、和紙は古くからこの弧状列島の風土とともにあり、そこに暮らす人々の感性を育んできた用材であった。それがゆえに和紙は、弧状列島の美術文化の成り立ちやあり方にも有形無形の影響を及ぼし続けたといってよい。しかし、浜田澄子が現代の美術界において積極的な和紙の使い手たろうとしたのは、ただひたすら日本特有の文化的遺伝子を尊重しようとする伝統派とは別の意識からである。「キャンヴァスは絵具を表面に滞留させるが、和紙は水を吸い込む砂のように色材を留めることがない。そんな浸透性が画面に透明感や奥深さを与え、キャンヴァス絵画にはない美質に自分を導いてくれた」と、画家自身が述懐してくれたように。
 それを聞いた時、かつて同じように和紙に行き着いた画家のことが、ふと思い返された。やはりキャンヴァスやパネルの表面にちぎった和紙を貼り重ね、墨や水彩、アクリリックなどで彩色する作法を続ける年長世代の堀浩哉である。彼もまた、絵具がキャンヴァスの表面にせき止められ、面上に広がって盛り上がるしかない油絵に違和感を覚え、奥方向への色彩の染み込みを可能にさせる和紙の使用によって表現の活路を切り開いた一人であった。もちろん両者の作風はまるで違うのだが、自身が感受した物の感触や空間の質を、画面そのもののマチエール(絵肌)に同化させようとする意識や方向性は共通していよう。ともあれ浜田が伝統的な美意識に溺れることなく、あらゆる可能性に対して自身を開こうとした過程で和紙に遭遇したことを、ここでは重視しておきたい。
 浜田の手でちぎられ、覆い重ねられた和紙片の群れには、まず墨でトーンが付されてからグリーンやブルーなど種々の色彩に染まっていく。繊細微妙な明暗や濃淡をはらんで移ろう色調の美しさといい、和紙片群の重なりが刻む起伏や進退のダイナミズムといい、その画面の表情の多彩さ、彫りの深さは見る者を魅了してやまないだろう。名指し得る具体的な対象物が何一つ描かれているわけではない画面なのに、もう一つの自然、もう一つの世界と呼んでみたくなるような余情が、そこかしこにあふれ返っている。きっと新作の画面からも、深まりゆく秋の気配のひとひらひとひらをすくい取ったかのような色彩詩が心ゆくまで味わえるはずである。
2011.11.1 - 6
倉貫 徹
2011.3.11 - 19
小山佐敏
 現代に生きる人々をひとしく支える場としての「都市」。それはかつて、人間や自然を疎外するリバイアサン(怪物)として、否定的に捉えられることが多かった。70年代から創作活動をスタートさせた小山佐敏も、そうした巨大な都市には到底抗えないという空気のなかで青春を送ったアーティストのひとりである。
 シティ・シリーズの、窓のない立方体に還元されたビルが見渡すかぎり延々とつづく不可思議な光景は、そのことを何よりも雄弁に物語っていよう。作品は「シェル美術賞展」、「青木繁大賞展」、「天理ビエンナーレ」、「小磯良平大賞展」などの会場に招かれ、次々と高く評価されていった。シュルレアリストのイヴ・タンギーさえ凌ぐようなニヒルな眼差しが、恐らく人々の心を鋭くえぐり、釘づけにしたものと思われる。
 それはそれでひどく感慨深い現代美術のワンシーンなのだが、私はあるとき、彼のシティ・シリーズは現代人の都市イメージをゆっくりと、しかし確実に先導していくのではないかと思うようになった。そうした眼でながめると、無機質、反自然一辺倒に思われた小山の世界が、いつの間にかグローバルなインナーシティないしメガシティに転じていることに、いまさらながらのように驚かないわけにはいかなかった。不思議なビル群がそのまま樹木や人体に化けて、明るい生命讃歌に転じていったのも、この作家ならではの都市的洞察のゆえと頷けるのだ。
2010.10.22 - 30
菊地武彦・湯村光
 立秋を過ぎても猛烈な暑さが続いていた8月中旬、菊地武彦・湯村光展の主催者であるDOKAギャラリーの最上忠一氏から「亀裂の奥に・・・」というタイトルでやりたいというメールが届いた。正直いってその時は、今ひとつぴんと来なかったのであるが、やがて送られてきた両者の出品作画像を見て、なるほど言いえて妙な表題だと思わず膝を打った次第である。というのも、その表題が出品作の外的特徴のみならず、両者の美学の内的本質への思索にも駆り立ててやまなかったからにほかならない。
 菊地の作品は、和紙に水彩や岩絵具、墨、鉄錆などの色料を刷毛で流し描いたものである。かつては幅広の垂直線が一本々々密に集積され〈時の地層〉のような観を呈していたが、近年は垂れたしずくのように線が細まって余白を際立たせる画風にも転じた。それとともに下降する線の先端が根株のように丸まったり、水たまりのように広がったりして、有機的な自然感が一気に増幅したような印象も受ける。ともあれ菊地にとって、線はたんに空間を仕切る道具ではなく、生命感情を燃え上がらせる存在そのものの化身なのだ。と同時に特筆すべきは、重力に従って流れ下る線が「作ることとできてしまうことといった二律背反」(菊地)の美学から導かれたらしいことである。それは、自然という他力を受容した美学とも呼ぶべきか。
 「二律背反」といえば、黒御影石を主素材とする湯村の彫刻でも、まさに不可欠の要素をなす。湯村のトレードマークでもある、すべすべの鏡を思わせる研磨面と不規則な凸凹に覆われた割れ肌の組み合わせがそうだ。鏡のような研磨面が合理的なモダニズムに基づく自力の造形を象徴するなら、逆にごつごつした割れ肌は、不合理で混沌とした他力を繰り込んだ造形となぞらえられなくもあるまい。菊地風の言い方にならえば、ここに現象化されているのは「作ることと崩れてしまうことといった二律背反」の美学となろうか。その対立的な要素の巧みな配合を介して、キリリとはりつめた緊張感の中にも、その緊張を一気に解きほぐすようなユーモアの虹をかけてみせるところが、湯村の彫刻の真骨頂でもあるのだろう。
 今回の会場では、こうした菊地、湯村の独特の美学が一段と凝縮された新境地を味わえるはずだ。菊地の場合屏風状に、あるいは開いて立てた本のように、何層にも重なって両翼に和紙が直立した作品に注目したい。紙面の上端に短い垂直線が集積して描かれるだけであとはのっぺりとした余白がひろがっているのだが、見えざる背後からちらりと顔をのぞかせる色彩がそこに深遠な時空を胎動させていく。そして円弧形や四角い御影石が、不可知の他力によって分断されてしまったかのような幻惑を誘う湯村の彫刻も、また―。層をなす和紙、ずれ重なった黒御影石の隙間という「亀裂の奥に」、尽きない思いを馳せさせずにはいない新作展である。
2009.10.16 - 23
岡田忠明・湯村光
芸術には有機的と幾何学的、あるいは具象的と抽象的という二つの対照的な型があるとは、多くの先達が指摘してきたことである。そのように記述されるほど、芸術の二つの型は、いずれか一方が他方よりも際立つような時代を通して、一種の確執を繰り返してきたといってもいい。たとえば有機的・具象的な型が時代を一色に染め上げたルネサンス期、幾何学的・抽象的な型がそれに取って代わった20世紀というように。画家の岡田忠明と彫刻家の湯村光が後者の型を自己の芸術の基盤としているのも、彼らが同じ20世紀半ばに生を受けた時代の嫡子であったことと無関係ではないだろう。しかし、ここで留意しなければならないのは、にもかかわらず彼らが決して時代の型を鵜呑みにしてはいないこと、それに芸術創造のすべてを任せきってはいないこと、の方ではないだろうか。
というより両者の作品が如実に証明しているのだが、彼らはそこに、時代を覆った幾何学的・抽象的な型に対する懐疑の念を潜ませているようにさえみえる。かつて読んだ仏小説家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの物言いを借りるなら、あえて表現をどっちつかずの、二つの型の「中間領域のもの」もしくは「二重のもの」へと差し向けているかのように思われるのだ。なるほど岡田忠明の画面はしばしば矩形に、つまり幾何学的な領域に分割されているけれども、だからといってそれは、理知の光でくまなく構造をあぶり出そうとする原理一辺倒の探究とはまるで違う。そもそも面の塗りが均質一様でないばかりか、不定形の染みや向きの異なる複数の線分を浮遊させたりして、幾何学的・抽象的な型が失った有機的な生動感を見事に画面に召喚しているからである。同じような印象は、御影石を素材とする湯村光の彫刻からも受け取れるだろう。
それは、まぎれもなく幾何学的・抽象的な基盤の上に立っていながら、その型が強いる純一性からするりと身をかわしているような趣とでもいおうか。岡田忠明が染みや線分などの自在な介入によって、幾何学的・抽象的な型に付きまとう重力を振り払っているように、湯村光も主として二つの構成法を介して、その彫刻に有機的なダイナミズムを呼び込んでいる。一つは断裂した複数の部分を微妙にずらしながら接合して単一の全体をまとめ上げていくそれであり、また一つは磨き抜かれてちり一つない鏡の表面を思わせるつるんとした研磨面と、ごつごつした起伏が波打つむきだしの被断面を対比させるというそれである。軽妙かつユーモラスで、いささかスリリングな気配もはらんだ形態といい、そこから染み出してくる生の感触といい、石という素材を知り抜いた手わざの妙は格別というほかはない。岡田忠明も湯村光も、芸術の二つの型のいずれかに帰依することなく、むしろ波打ち際に身を置いて、二つの型の総合化を探り続けているのではあるまいか。
2009.06.10 - 16
西美公二
パリにアトリエを構え、永住権を持つ造形作家。ラスコーなどの洞窟壁画に強い影響を受ける。
人はいずれ土に帰るという宇宙観を独自な色彩で表現。太古から未来へと続く生命の原点を描き続けている。
フランス、ヨーロッパを中心に国際展に出展、受賞を重ねる。1957年広島生まれ。1981年渡仏。
2008.11.21 - 29
伊藤隆道 ・ 大野廣子
静止していた物が動き出すと、だれもがそれに目を向けずにいられなくなるのはなぜだろう。いや、静止状態のそれを眺めていた人でも、動き出したその瞬間、いやおうなく視線が集中し始めることに気づくはずである。おそらくそれは、時間が目に見えないことと関係している。眺める物が静止していると、人は流れている時間を認識するため、その視線を動かない外部の現実から自分の内部に振り向ける。そして、そこに意識の流れという、もう一つの時間の形態を作り出すのだ。その意識の流れ(内部に置き換えられた時間の形態)が動き始めた物によって寸断されると、時間は再び外部の現実に取り戻され、そこを流れていくというわけであろう。
その意味でも、一貫して動く彫刻にこだわり続けた伊藤隆道は、見えない時間の形象化に取り憑かれた夢追い人といってもよい。なるほどキネチック・アートとも呼ばれるように、動く彫刻はいまや現代社会の風物詩となっていて、吹く風や流れる水など自然現象の変化に反応したり、モーター仕掛けで自動運動したりと、多種多様の仕掛けが目を楽しませている。だが、物を動かすこと自体に意識を傾け過ぎるせいか、見えない時間の形象化という高度な域に達していないものが大半だ。繊細にしてユーモラスな形態の、磨き抜かれた一点の曇りなき金属の曲線形に回転運動を与えるだけで、悠久の時間を優美な舞いの軌跡に化身させてきた伊藤隆道を除いては。
悠久の時間といえば、それは日本画家・大野廣子が握りしめてきた表現のモチーフでもなかったろうか。ただし、彼女にとっての悠久の時間とは、山水や花鳥風月に代理表象されるところの、様式の中だけに収まっているような形骸化した時間ではない。活動の拠点をニューヨークに求めただけでなく、自分の関心に触れれば地球上のどこへも飛んでゆく抜群の行動力とフットワークも、人間は「いま・ここ」を実体験することなしに、時間の永遠と触れ合うことも、それを形象化することもできないという意識から促されたものと思われる。たとえば彼女がアフリカの砂漠で、沈む太陽と上る月を同時に目にした体験をことのほか大切にし続けてきたように。
そのような意識を持つ彼女のことだから、日本画専用の顔料で描かれていても、屏風形式にしつらえてあっても、作品が形骸化された伝統のカビ臭さとは無縁のものになるのは当然だろう。前述の砂漠での体験から生まれた掛け軸形式の日月図で、砂漠をはさんだ上下に三日月と太陽を対置させるという大胆奇抜な画面構成をやってのけたのは、ほんの一例である。やがてその体験が、悠久の宇宙というモチーフへと展開していったのも不思議ではない。彼女はしばしば暗黒の地に無数の白いドットをちりばめて銀河や星座を描き出したが、それらは一切の過剰を排したミニマルな表現によって、悠久の時間への思いを澄み切った詩情をたたえて歌い上げていた。
2008.10.17 - 25
岡田忠明 ・ 高濱英俊
勝手な推測でしかないが、自作の画題を「淤能碁呂(onokoro)」と呼ぶようになった時点から、岡田忠明には自身の絵画の向かうべき道が、はっきりと見えていたに違いない。自分の意識を規定してきた絵画史上の知を一切ご破算にして、白紙状態から自前の絵画をつくり直していこうという覚悟のようなものが。「淤能碁呂」とは「古事記」の国生み神話に出てくる、イザナギとイザナミが海水をかき回した矛の先から、塩がしたたり落ちて誕生した最初の島の名である。その名を冠した絵画には、先達である西洋絵画への対抗心のようなものも感じられるが、より共感すべきは、あくまでも絵画の原点に立ち戻ろうとする自覚の方であろう。
大理石の粉末や炭酸、硫酸のカルシウム、諸顔料を膠で溶いた色材づくりに始まり、無から何かが始まるような天地創造を思わせる厳かな画面づくりに至るまで、そのことは「淤能碁呂」シリーズの作品群から如実に見て取れる。彩色された自然木をはり付け、白と紺による陰陽的構造をはらんだ初期作品は、とりわけそんな感慨に誘う。岡田の軌跡は、画面から余分な要素を振り捨てながら、ここ一両年に発表された対照的な二系列へと展開してゆく。一方では、赤の線を仲立ちした白と黒の矩形色面の対比が静寂の中にもはりつめた緊張感を漂わせ、他方では、細い線形が空間を胎動させて、そこらに発生の気をみなぎらせていた。さて、今回はどうなるか。
このところ志ある彫刻家たちによる自主運営の展覧会の動きが、にわかにクローズアップされてきた。マンガやアニメに刺激を受けた「かわいい」、そしてちょっと不気味でシュールなキャラクターを描いた絵画の流行。それが不当なことに彫刻にも及んで、フィギュア系の流行と一線を画する真摯な造形が相手にされなくなったからである。時代に流行があるのは当然としても、世の中すべてがそれに染まってしまうのはやはり空恐ろしい。そうならないためにも、フィギュアにはない彫刻の醍醐味を人々に伝えるべく、ここはぜひとも彫刻家たちに踏んばってもらわねばならないところだ。DOKAでは今年2度目の発表となる、石彫家の高濱英俊にも。
もちろん高濱は、今回の会場でも彫刻の本領が奈辺にあるかを教えてくれるだろう。石の塊を割り、彫りえぐり、研ぎ磨く手仕事の反復の中にしか、それが受胎しないという真実を。この彫刻家が「水」の流動性を形象化の柱にすえてきたことについては、前回の発表時に言及したのでここでは繰り返さない。だが、どこか人体を思わせもしたり、動植物のようでもあったりする、可変的かつ有機的なモルフォロジー(形態学)の特異さは、何度指摘してもし足りないくらいである。その意味で高濱は、古典的均整美は自分の目指すべき世界でないとして流動的形態にこだわった現代彫刻の開拓者、ヘンリー・ムーアの衣鉢を継ぐべき一人なのかもしれない。
2008.09.19 - 27
尾形 純
21世紀に入った今でも、実在の対象を美的に描くという伝統的な描法が消えてなくなったわけではない。むしろ日常の生活世界に目をやれば、なおそうした規範に則った絵画に接する機会のほうが断然多いだろう。生活世界の装飾とは、そして、そのためにある絵画とは、何よりも人々の内面をかき乱すことのない安心感を求められるものだからである。にもかかわらず、芸術表現としての絵画においては、もはや過去の美的規範を墨守しなければならない理由はどこにもない。ドイツの文学者ハンス・ヘニー・ヤーンが慨嘆したように、文明化の矛盾や世界大戦の不条理な悲劇をくぐり抜けた目と精神は、どんなに優美に見える対象も、「実体は虚無のような黒」であり、「引力に穿たれた孔、姿なき存在」であるとしか感受し得なくなったのだから。かくして絵画は、平面性と正面性という昔ながらの構造を受け継ぎつつも、現実世界を映す鏡ではなくなっていく。
このように現実の何ものも写さず、現実の何ものにも拘泥しない絵画とは、言い換えれば、みずからが精神を宿した存在もしくは世界となった絵画であるとも言い換えられよう。尾形純が一貫して描いてきたのは、まさにそのような絵画である。ぬばたまの深い闇を思わせる黒、反対に午後ののどけき光のような黄、うっそうたる自然に包み込まれた感覚を催させるグリーンといったさまざまの単一の色彩が広がった空間と、偶然ついた染みやしたたった水滴の跡とも、揺らめく炎とも、水中を浮遊する微生物とも、はたまた身をよじった人体ともつかないそこに出没するさまざまの名指しがたいイメージ。尾形の画面を成り立たせているのは、そのたった二つの要素だけなのだ。いうまでもなく静まり返って微動だにしない空間は<地>をなし、何かの形も結ぶことなく、ひたすら溶け流れているようなイメージは図をなす。
しかし、それを眺めていると、やがて見る者は、地と図でシンプルに設計された画面の奥底からじわじわと染み出してくる、深い余韻に満ちた気配を感じてやまないだろう。この個展に付された聞き慣れない響きを持つタイトル「和温の霊(くし)び」とは、こちらが勝手に解釈すれば、和は調和の和、温は温故知新の温、霊(くし)びとは神妙かつ不思議なことだから、地と図の調和的探究によって導かれた霊妙な世界というような意味となろうか。もちろん和を和風の和、温を温帯の温と解しても、尾形絵画の特質を表していることにさしたる変わりはあるまい。西洋画の脂ぎった物質感や厳格極まる構築性とは異質な、夢とも現(うつつ)ともつかない東洋画の深遠さにも通じていることに。それはたとえば、「静かなる暁ごとに見渡せばまだ深き夜の夢ぞ悲しき」(式子内親王)という古歌の美意識さえ思い出させる。
2008.06.19 - 25
ニノ・カルミゼ
グルジアの作家カルミゼさんは、夫のザザ・ゴグアさんと共に大変な親日家でもあります。日本に永く滞在していましたが、現在は本国に戻り、年に1度のペースで来日、個展を開催しています。
彼女の作品を紹介するにあたり、まずグルジアについて少々知る必要があります。ソ連の崩壊と共に独立を果たしたグルジアは独自の文化を持つ国ではありながら複合的な要素を持っております。国の宗教はギリシャ正教の流れをくむグルジア正教です。キリスト教国でありながら、長い歴史の中で多くの文化の影響も自国のものとしています。ヒンカリという肉まんじゅうは、モンゴル帝国の遺品とも言えます。またこの国の暦にはグレゴリオ暦とともに十二支もあります。一方で永く支配されたイスラムの面影も数多く残っています。それは国立オペラ劇場の建築であり温泉の建物の様式でもあります。伝説では、王女メディアの生誕の地、ノアの方舟の降り立った土地とあります。また黒海の東に位置する南コーカサスの自然は四季の変化に富み、ワインのふるさととしても有名です。人々はロシア語と共に自国語のグルジア語とグルジア文字を用いています。この国は、シルクロードの中間地点であり、東洋と西洋の十字路というより古くから東洋と西洋のスクランブル交差点でもありました。
こうしたこの国の性格は、彼女の作品にも色濃く表れているように思います。具象的表現でありながら、装飾性や象徴性を備えた画面は見るものをさまざまな空想の世界に誘います。また、色彩の柔らかい変化も彼女の絵の特徴です。描かれた対象とその背景が渾然一体となっている作品も多く見られます。時には何が描かれているのかを忘れさせ、音楽のハーモニーのように色彩がさまざまな曲想を奏でます。複合的なイメージは彼女の生まれ育ったグルジアの特徴かも知れません。
作品のテーマは様々ですが、中心となるのは音楽を主題としたものでしょう。「ピアニスト」「カルテット」「ピアノ五重奏」「コンサート」などの作品は、具象でありながら非常に象徴性の高い作品です。彼女のテーマはそのほかに子ども、家族、花など身近で親密なものが多く見受けられます。またユーモアやトロンプルイユ(だまし絵)的な要素も見受けられます。例えば「ハイド&シーク(かくれんぼ)」という作品では画面の中に何人かの子どもがかくれています。
今回の個展では、このような多面的な彼女の絵画の性格のうち、どのような側面を見せてくれるか、または新しい面を見せてくれるのか楽しみです。個展会場では彼女の絵画への出会いと共に、彼女自身との対話も楽しんでいただけたらと思います。
2008.06.06 - 14
最上壽之 + 高濱英俊
彫刻とは、と英国の詩人・評論家ハーバート・リード卿(1893〜1963)が言い得て妙な定義を下している。それは一つの材質から別の材質へと意味を置き換えることだ、と。たとえば女性の身体を対象とする場合、そのかたちをそっくりに物体でかたどるのではなく、物体のかたちを通して女性の身体をとらえ直すことが彫刻というわけである。つまりリード卿は、かたちの直訳ではなく意訳こそが彫刻の本質なのだ、と言いたかったに違いない。その意味では最上壽之ほど、かたちの名翻訳家と称したくなるような彫刻家もいないだろう。木を主素材とする彼の彫刻は、決して対象のかたちをそっくり模したものではないが、さりとて純粋抽象の彫刻とも似て非なるものだ。歩行したり、横たわったりといった人間のしぐさをどこか想起させるように、それは生きて在ることと深くかかわり、その実感をさまざまのかたちへと翻訳したものであろうから。
いや、それだけではない。美術評論家・中原佑介がいみじくも「作品が話している彫刻語」と指摘した最上の作品タイトル、たとえば擬音語や擬態語までもひっくるめたオールカタカナ文字のタイトルが示すように、彼は物のみならず言葉によっても、その生の実感を独自のかたちへと翻訳し得る希有な達人なのだ。最上のつむぎ出すユニークな物のかたち、言葉のかたちは、どこまでもカラッとした軽妙洒脱なユーモアに満ちあふれ、権威や権力を笑い飛ばし、通念を脱臼させていくかのようで爽快この上ない。しかし、その笑いと挑発の後に訪れるのは、決してしらじらとした虚無の荒野なぞではなく、生の温もりをほんのりと漂わせた世界だろう。物と言葉の絶妙な二重奏が織り成すこの特異なモルフォロジー(形態学)は、ここに出品された木彫やオブジェ、ドローイングからも存分に味わえるはずである。
言葉といえば石彫家の高濱英俊も、長きにわたって水というモチーフにこだわり、水の語る言葉に耳を傾けてきた人だった。リード卿にならって彼の彫刻を、石に置き換えられた水のかたちと呼びたくなるほどに。何が高濱をして、水なる主題に向かわせしめたのか。それは「水の言葉は地球の内なる声に他ならない」という彼自身の記述に尽くされてもいよう。もちろん水の惑星という環境論的な認識を度外視するつもりはないのだが、ここでは「地球の内なる声」を「人間の外なる声」と読み替え、近現代文明下の人間至上主義に対する批評的意識の発露と受け取ってみたい。というのも、断片化されたかたちや複合的な彫刻のつくりが、全一的な人間像とは対極をなすように思えるからだ。曲線を基調とし、なめらかな表皮とくねくねしたユーモラスな形態に特徴づけられたそれは、まさしく流動する水のような自在感を目に焼きつけていく。
2008.05.09 - 17
上前智祐
具体美術協会とは画家吉原治良の指導下、第2次大戦後の関西で産声を上げた伝説的な前衛美術家集団である。ミスター・グタイとも称される吉原が、「誰もやっていないことをやれ!」と若い会員たちを叱咤したというエピソードは余りにも有名だ。「グタイ」とか「GUTAI」とも表記されるのは、海外にも早くからその名声が轟いていた証だろう。上前智祐は1954年の会創設に加わった最古参の一人であるから、当然のことながらその栄光の恩恵に浴してもおかしくはない。きっと地元の関西ではそうだったかもしれないが、なぜか東京や他地域で具体というと、吉原は別格としても必ずといっていいほど名の挙がるのは、白髪一雄や元永定正、村上三郎、嶋本昭三、金山明、田中敦子らに限られて、上前の存在は見過ごされがちであった。
その仕事が見劣りするならまだしも、上前の芸術は決して格下ではなかった。にもかかわらず、時流が上前よりも白髪や元永、村上らを選んだのはほかでもない。師匠の「誰もやっていないことをやれ!」というアジテーションに、白髪らは奇想天外なアクションなどで応じたが、上前は物いわぬ物質との対話を介して、ただ黙々と絵筆を振るっていただけだからである。美術に限らず、どんな集団にあってもその成員は動か静か、陽か陰か、派手か地味かといったタイプや役割をいや応なく担わされるものだ。世間の目を一瞬のうちに引き寄せる身体表現にくらべ、密室で絵画に打ち込んでいた上前の地道な探究がいずれに映ったかは火を見るより明らかだろう。しかし珠玉の絵画を集めた今回の個展によって、上前が日本の現代絵画史にどれだけたわわな果実を実らせてきたかを、この東京でも再認識せずにはいられなくなる機会がやってきた。
そこには1960年代から油彩や1980年代からの縫いシリーズなど、近年に至るまで時期ごとの作品が選ばれていて、上前芸術とは疎遠だった観客もおよその作風の変遷をつかむことができる。だが、その展開の多様さに優るとも劣らないのが、一貫して表現の通奏低音をなし続けてきたところの、雄弁な言葉をつむぎ出してやまない物質的な絵肌にほかなるまい。ゴッホばりの長めの点描をリズミカルに積み重ねた画面のように、それは厚塗りした油絵の具だけからたらされる場合もあれば、絵の具チューブの口やからまり合うオガクズなど生の物質を彩色して盛り上げたような場合もある。像を封じられた非具象絵画においては、個の独創はマチエールのうちにこそ受胎されることを、たぶん上前は他のだれよりも知り抜いていただろう。物質を飲み込んだマチエールから、深々と自己の刻印された表現が立ち上がってくるということを。
2008.04.10 - 19
浜田浄 + 井崎聖子
おびただしい映像に浸された時代の宿痾ともいうべきか。絵画においても、新奇なイメージやそれをひねり出すための発想と技術の競い合いばかりが、目下の関心事となった感がする。けれども、そのようにして仕上がった絵画は、束の間の快楽を催させることはあっても、やがては消費する側の際限ない視覚の欲望に追い抜かれてしまうだけだろう。絵画が一時の消費にではなく歴史の風雪に耐え切っていくためには、たとえそれが迂回や逡巡に見えたとしても、イメージや発想や技術の発明競争とは似て非なる射程を備えた探求が不可欠なはずである。若い画家たちを、そして彼らを待望する者たちを、そのような探究や探求を見守ることの大切さに目覚めさせるのは、現に探求を続けてきた画家たち、たとえば浜田浄や井崎聖子の成果に触れることにほかなるまい。 ここでは<表面の背後>もしくは<表面の深さ>という、たった一つの事柄だけに絞って彼らがなし遂げつつある成果に迫ってみたいと思う。それは当然ながら、彼らの絵画の成り立ち方とも密接にかかわっている。
まず浜田は同一の色彩を担った線やストロークの集合を一つの層として、あたかも地層のように別の色彩を担った集合を積み重ねてオールオーバーの画面を作り上げる。 続いて今度はナイフや鉤などを使って出来上がった表面を掘り返し、下層やそのまた下層の色彩を、さらには最下層の画布の地肌を露呈させていくのだ。そんなおびただしい痕跡群が私たちの見ている表面をダイナミックに浮き沈みさせ、あたかもその背後から未知の光がにじみ出してきたかのような情景をつづれ織るのである。
対照的に、井崎の色調は彩霧のようにおぼろげで淡く、その塗りも透けて見える被膜のように薄い。半透明の淡くやわらかいヴェールを思わせる幾条もの色彩流が、音もなく眼前を下っていくかのようだ。そして、それらの流れが接してわずかに重なり合った境界が刻む筋。それは、私たちが見ている表面の見えない厚みを喚起する符牒ともなるだろう。視線を<表面の背後>に回り込ませ、<表面の深さ>を渉猟させた末に、逆送して画面のこちら側へと折り返させるという点では、彼女の絵画も又、浜田の絵画の成り立ちと本質を共にしているといっていい。「絵画とはすべてを受け止める器である」と、ある画家が書き記した名言を思い出す。
そう、浜田と井崎の画面が告げているのも、絵画が無限に向かって開かれた「器」ということなのだ。
2007.11.21 - 30
上條 陽子
美術家はその作品をとおして自己を表現しています。それを観る側のコレクターも好みに合った=感性・精神性が自身に合致した作品を求めています。…から、コレクターの人柄・センスは収集作品の組み合わせで知ることができます。南青山「DOKA」現代美術ではコレクターの視点に立って、作家を捉える企画展を重ねています。
今回の国際作家・上條陽子氏は、広いスペースでの「インスタレーション」を中心に幅広いテーマを表現する作家ですが、個人コレクター向けの作品の入手機会が少なかったのも事実です。このたびの「DOKA」での個展では、個人収集家向けの黒い作品でまとめました。また、1948年以降、国際的にも政治・経済・社会の各界では、パレスチナの民族・宗教・難民問題:貧困と文化の問題が取り上げられています。・・・
小さな画廊が発信するには余りに、大きなコンセプトですが、静謐で、洒落た空間に包まれた展覧会を、ご高覧頂き、お楽しみください。
2007.09.21 - 29
高濱 英俊 × 尾形 純
私たちが水から生まれた存在であるならば、私たちの芸術もまた、水の都というべき質感を湛えた精神世界に立ち上がるものであるといえるだろう。
今回の高濱英俊と尾形純のコラボレーション展は、まさしく私たちが帰るべき世界の質感 を、彫刻と絵画という、いわば水の変容たる造形によってもたらそうとする試みであり、それはまた、私たち自身が水そのものであったことを思い出すための、自己回復のための水の記憶を復元しようとするものにほかならない。
2007.05.21 - 31
上田のり子 × 高濱 英俊
南青山「土火」現代美術では、美術作家のコラボレーションをてがけています。
今回の上田のり子と高濱英俊は、現代美術界にあって常に質の高い、日本的な抽象作品を次々と発表してきました。
各々が「風(上田)と水(高濱)」を長年のテーマとして、繊細で高質、さらに「洒落て粋」な作品で知られ、海外の一部の美術ファンおよびコレクターからも根強く支持されてきました。
しかしながら、単に表面的で流行の波に乗った作家とは異なり、また高濱英俊にあってはパブリックアートとして石彫の野外彫刻作品であることから、一部の評論家、美術愛好家以外にはその作品と直に触れ、入手する機会が少なかったことも事実です。

このたび南青山『土火』現代美術 -DOKA Contemporary Arts-では、極めて繊細で高度に洗練された日本人の美意識を表現できる作家として絵画と彫刻の二人の競演を企画しました。
外国人作家にはない繊細で静かな作品群、極めて日本的なものこそが国際的なものであること・・・。
この意味で静謐で繊細な場を表現し、演出できる代表作家として二人を取り上げました。
身近に作品をお持ちいただき、作家とのパーソナルコミュニケーションを深めて頂く機会としてお楽しみください。
2006.12.04 - 16
菊地 武彦 × 尾形 純
現代美術画壇にあって菊地武彦と尾形純は質の高い、日本的な現代絵画作品を次々と発表してきました。
共に、しっとりとした、和風で高質な画家として知られ、海外の一部の美術ファンおよびコレクターからも根強く支持されてきました。
・・・・が、多作で流行の波に乗った作家とは異なり一部の美術愛好家・コレクター以外にはその作品と直に触れ、入手する機会が少なかったことも事実です。

このたび南青山『土火』現代美術―DOKA Contemporary Arts―では、極めて繊細で高度に洗練された日本人の美意識を表現できる作家として二人の競演を企画しました。外国人作家には到底求め得ない色彩感覚・湿度感のある作品群、極めて日本的なものこそが国際的なものであること・・・。この意味で現代の日本を表現する代表作家としての二人を取り上げました。
また、これらの「和」という点では共通した二人ですが、大いに異なる二人の「表現の違い」と「軌跡」を作家と共に振り返り、作品をご紹介します。

身近に作品をお持ちいただき、作家とのパーソナルコミュニケーションを深めて頂く機会としてお楽しみください。
2006.11.01 - 11
浜田 浄
現代美術画壇にあって浜田浄は極めて質の高い作品を次々と発表してきました。
高質で硬質な画家であることは多くの美術館にパブリックコレクションとして納められていることでもわかります。美術界に少なからぬ影響を与え一部の美術ファン、コレクターから根強く支持されてきました。
・・・・が、多作で流行の波に乗った作家とは異なり一部の美術愛好家・コレクター以外にはその作品と直に触れ、入手する機会が少なかったことも事実です。

 このたび南青山『土火』現代美術−DOKA Contemporary Arts−では1980年代の作品を集め、当時の「線による表現への移行とその後の展開」をコンセプトとして今日に至る浜田浄の軌跡を作家と共に振り返り、作品をご紹介いたしたく存じます。
身近に作品をお持ちいただく新たなファン作りの機会でもあります。

 自身の内世界と、社会との接点を模索し続けてきた浜田浄にとって、絵画は言葉にしきれない感覚を表現するための手段でもあり、 本展において浜田浄の描く透明感はその場の「空気」と良く調和し、以前からのファンの目にも新鮮なものとして映るものとご期待ください。
2006.05.15 - 27
共にまったく異なる現代的な表情を作品に表現しながら、それぞれに「古典」との関わりや起源を持つ日本人とフランス人、同時代の二人による絵画展

ルドネは、フランスで活躍する現代美術作家で、歴史のなかに現れる人物像や出来事をミクストメディアといえる手法で、コラージュやオーバーペイント効果により独特な材質感や表情を表現している。

尾形は、洋画の「古典技法」の地塗や発色の原理から着想した彩色の効果を、水性絵具に置き換え、独自の絵画空間を現している。
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